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高田の歴史

城下町400年の歴史に出会えるまち

新潟県上越市高田は、城下町400年の歴史に出会えるまちです。 戦災や大火が少なかった高田は、今も城下町当時の道割りや歴史的建造物が残り、歴史の香りが漂います。

戦国時代

戦国時代、高田を含む頸城郡には、名将上杉謙信公の権力の直接の基盤として上杉氏の蔵入地(直轄地)や家臣団の知行地が置かれていました。また、春日山城を中心にいくつかの支城が配置されていました。

高田城築城

高田城は、慶長19年(1614年)、加賀の前田氏、米沢の上杉氏など13の大名による天下普請で築城され、徳川家康の六男・松平忠輝公が入城しました。
その後、高田城には御三家に次ぐ家格を持つ松平光長が入り、高田藩最大の賑わいを迎えました。
寛文5年(1665年)の大地震からの城下の復興、中江用水の開削による大穀倉地帯化など、家老小栗美作主導による繁栄政策により、現在の高田の礎が築かれました。
高田城には、石垣や天守閣がありませんでした。これは、この城が戦や権威の象徴ではなく、広大な城下町を従える巨大行政府であったことを物語っています。

【図】高田城の構造/「高田開府四〇〇年」38・39ページ

城下町高田の都市計画

城下町高田は、計画的に造られました。城下町を発展させるために、街道が街なかを直線的に回るように整備し、その街道に沿って、交通・運輸に関わる町や、商業・流通に関わる町、専門的技術を持つ職人たちの町を配置するなどして、各町が城下町のそれぞれの役割を持てるよう成立させたのです。
その役割を保護・統制したのは大名でした。特定の業種の営業を特定の町のみ認める特権を与えたのです。
武家町に隣接する所には、武士の生活に必要な職人が住みました。職人町や新職人町(現在の大町五丁目付近)では、現在でも、職人の方が事業を営んでおられます。

【図】高田城下の個別町全体図/「高田開府四〇〇年」54・55ページ

雁木のまち

「雁木(がんぎ)」は家の前に出した長い庇(ひさし)の呼び名です。豪雪地帯の高田において、冬季の生活道路を確保するため、居住者が私有地を提供し合い造られました。
雁木の下を誰でも通れる共用通路とすることで、雪の中でも人々の往来を盛んにさせ商取引を活発に行おうとした、町人たちの知恵と財の結晶です。
町の発展のために、私有地と家の一部を提供する雁木町家の住人の心意気を感じさせます。まさに、雪国の人の温かさと風土が造り出した、郷土が誇る伝統的建造物といえます。
「雁木」ができたのは高田城築城後、城下町が整った松平光長時代以降と考えられ、街道筋を中心に、現在では約16キロメートルも続き、全国一の長さを誇っています。 
雁木町家の造りは、間口の割に奥が深く、表からミセ、チャノマ、ザシキ、土縁、台所、風呂、便所、物置とつながり、その間を土間の通路が結んでいます。

【写真】冬景色の雁木通り

【写真】冬景色の雁木通り

【写真】よみがえった町家「高田小町」

【写真】よみがえった町家「高田小町」

現在の城下町高田

平成26年(2014年)に開府400年を迎えた城下町高田。今も城下町の風情を残す町家と、総延長16kmもの雁木の街並みが残ります。
歴史の香り漂う城下町で、町家を活かした事業所開設及び商いにチャレンジしてみませんか。
新潟県上越市では、高田中心市街地の町家を含めた空き店舗に開設する場合、皆さまのチャレンジを応援するための支援制度をご用意しております。

<引用>「高田開府四〇〇年」(発行:高田開府四〇〇年祭実行委員会)
<引用>「上越物語(観光総合ガイドマップ)」(発行:上越市観光振興課)
<引用>「町家読本-高田の雁木町家のはなし-』(発行:上越市文化振興課)